しかし、私がみなさんに伝えたいメッセージはけっして投資=ダーティーというわけではありません。NHKスペシャルであったように、「協力」したり「シェア」したりすることは人間が人間ならしめることなのです。人間が動物と違うのは、仲間を作り、仲間と物事を協力して行うからなのです。それを支えるのが株式会社であり、株式市場なのだということを、読者の皆様にもお伝えしたいのです。
ドラッカー『イノベーションと企業家精神』
和紙を漉くときに使うすのこがあって、それを作るための鉋(カンナ)があるらしいのです。 で、この鉋が今ぜんぜん流通していないと。 そこで永さんが捜し歩いたそうなんですね。でも全国探してどこにもない。
そんなある時、京都の錦小路にある刃物屋さんにふらっと入って 「紙漉きに使う刃物はありませんか」 と聞いたそうなんです。 するとお店の人が「裏へ回ってください」って。 そこで促されるままに行ってみたら、なんと何年も探していた鉋が、荒縄で縛って何十枚って置いてあるんです。
昔これを持っていた職人が「いつか誰かが探しに来るから、そのときに分けてやって。つくれるのはもう俺しかいないから」って言って、置いていったって。「何十年もそのままにしておいて、そしてあなたがきょう探しに来た」って。
今日本で和紙が漉けているのは、その職人のおかげなの
鳥肌立ちましたねえ。なんてカッコよい職人さんで、なんてカッコよい話なんだろうって。
今、日本で紙が漉けているのは、その職人のおかげなの - エアロプレイン- (via hkj
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枝
石ころ
行き止まり
切り株の腰掛け
少しだけ独りぼっち
ガラスの破片
これは人生
これは太陽
これは夜
これは死
銃
この足
この地面
この身と骨
道路の響き
スリングショット
魚
閃光
銀色の輝き
争い
賭け
弓の射程
風の森
廊下の足音
擦り傷
こぶ
何でもない
槍
釘
先端
爪
ぽたぽた
この物語の終幕
トラックが運んでくる一杯の煉瓦
柔らかな朝日の中
銃声
丑三つ時
1マイル
やるべき事
前進
衝突
女の子
韻
風邪
おたふく風邪
家の予定
ベッドの中の身体
立ち往生した車
ぬかるみ
ぬかるみ
そして川岸が語る 三月の水
人生の約束
心の喜び
浮遊
漂流
飛行
翼
鷹
うずら
春の約束
泉の源
最終行
落胆した貴方の顔
喪失
発見
蛇
枝
あいつ
あの男
貴方の手の中のトゲ
そしてつま先の傷
川岸が語る
三月の水
それは人生の約束
それはあなたの心の喜び
一点
ひと粒
蜂
ひと口
瞬き
禿鷹
突如の闇
ピン
針
一撃
痛み
蝸牛
なぞなぞ
借り鉢
染み
枝
石ころ
最後の荷物
切り株の腰掛け
一本道
そして川岸が語る
三月の水
絶望の終わり
心の喜び
心の喜び
心の喜び
この足
この地面
枝
石ころ
これは予感
これは希望
三月の水/アントニオ・カルロス・ジョビン
この元の文章に記されているような、顕著な「再現性の低下」がどの程度ほんとうらしいのか、私にはよくわからないが、「研究計画の概要とすべての結果をデータベースに公開することを義務付ける」ということをベースにした研究の進め方は、少なくとも研究室レベルではうまくいくのではないかな、と思った。すべての結果を公開することを前提とすることで、研究者の技術の向上、倫理性の向上、研究の質の向上、などをトレーニングしていくことが可能だろうし、そういうことができていれば、営利企業・公的機関など、どのフィールドにいっても対応できる研究者を教育できるのではないか。
日本社会に長い間暮らしてきた人間として強く思うのは、「自己を客観視しない価値観」が問題だと思う。失業したり、なにかひどい目にあったら、それが直接「自分自身の価値の喪失」と捉える文化がこの国にはある。仕事や学校、そのようなものに自己を同化させて、そこでの評価が絶対となっている。
自殺率が比較的低い国(アルゼンチン、英国、スペインなど)の人たちと話していて思うのは、彼らにはそのような価値観が全く理解出来ないだろうなということだ。彼らの世界は自分中心で作られており、どんなことがあってもそのせいで「自分自身の価値自体が喪失」したとまでは考えない。平たく言えば、だいたい他人か社会のせいにして、「おれ、悪くないから」で済ます。
またそれに付随することとして、日本人と議論して相手の意見に異を唱えると、とかく彼らは感情的になる。あたかも自分の存在が否定されたかのように感じるらしい。外国人との議論では前提となるのは「各自が違う意見を持っていることが当たり前」ということだ。だから、反対意見を言ったところでそこまで感情的にこじれることはない。